04.11.05 やったーっ、田臥くん。


 
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今回は個人的な、趣味で申し訳ありません。

昨日、NBAの舞台に、田臥くんが念願のデビューを果たしました。
丁度、去年、このホームページでも田臥くんの事を書いていたのでそのつづきです。
(その内容は、こちら→都市のカンサツ、
03.11.03 チイサイことはカッコイイにて)

田臥くんは、今24才なので、僕より7才年下です。
丁度、僕が大学生の時、かれら能代高校は、高校バスケット界において、前人未踏の9連覇を果たしました。
僕が、彼を知ったのは、彼の最後の大会の時です。
高校スポーツ界のスーパースター。
ここまでは、実はよくある話しだと僕は思っています。
僕は、どちらかというと高校スポーツマニアなので、Jリーグ発足前から高校サッカーが好きでしたし、
PL学園時代の清原、桑田の黄金時代、松井の4連続四球も鮮明に覚えています。

そんな中で、抜群の輝きを見せた高校生が、その後スポーツ界から消えていく姿もよく見ていて、
どちらかというと、そっちの方が多いのではないかとも考えています。

例えば、現鹿島アントラーズの本山の1つ下の世代で、東福岡を2連覇に導いた宮原くん。
彼が、国立の決勝の舞台で、フィールドのほぼ中央から鮮やかに決めた約30mのループシュートは、
たった一人で11人をあざ笑うかのようで、鳥肌がたちました。
当時から、怪我に悩まされていたようですが、卒業と同時に名古屋グランパスに入団して以来、彼の名前を
ニュースで聞く事もありません。

そんな選手をたまに捜してみたりするのですが、もうどこに所属しているのかすら、分からない事が多いです。

それでも、僕は、あの時のループシュートは、生涯忘れる事はないでしょうし、そのくらいの輝きをあの時の
彼の中に感じました。

話は、それましたが、
それでも、サッカーや野球は、まだましな方です。
きちんと日本でプロスポーツ選手としての受け皿もあり、卒業したら、プロに行って、将来は、イタリアへ、
というような、頑張れば、現実味のある舞台が準備されているからです。

そんな意味で、僕は、田臥くんの卒業後に非常に興味を持っていました。
卒業後、彼はアメリカにバスケ留学したり、国内リーグに復帰したり、試行錯誤を繰り返していたのでしょう。
その時代は、ほんの小さな記事で、新聞に載るくらいで、ほとんどマスコミにも取り上げられていませんでした。
ネットで、たぶせゆうた、と検索してもほとんどヒットすらしませんでした。

そんな時に、丁度去年の今頃、NBAのテストを受け、最後の一歩まで、たどり着いた彼を見つけました。
残念ながら、去年は、最後の最後で、解雇されてしまいましたが、その時のインタビューでもあきらめ、というより
NBAでもやれる、という自信をかれの表情から感じました。
(現実は、ほんとに大変らしいです。プロ契約するまで、給料10万円以下とかで。)

そして、今年。
去年は、何となくチームや監督の発言からも、難しそうな感じを受けていましたが、今年は、よい評価ばかりが
伝えられていて、ゲームにもかなり使われていたので、いけるかも?とは、感じていましたが、
開幕戦デビュー、そして短い時間ながら7得点と本当にビックリです。

丁度、中田英寿が、セリエA開幕デビュー戦で、ユベントスから夢のような2ゴール(あわやハットトリック)をあげ、
舞台にビビるどころか、堂々と、そして一瞬のうちに「中田のチーム」にしてしまった時のような気持ちになりました。

まあ、このような話題は、書いていたら止まらなくなるので今回はこの辺で辞めますが、応援していた選手が夢の舞台に
立つというのは、本当に感激ひとしおです。

そして、建築も同じですが、大切なのは才能ではなく、とにかく大好きである事、そして死ぬまで続けてやる、という覚悟
である、という事を改めて確認しました。

そんな思いがあれば、大抵の事は実現できるのではないでしょうか?

 

最後に、きっと田臥くんは、中学、高校時代、まちがいなく井上武彦の名作マンガ「スラムダンク」を愛読していたに違いない、
と未だに愛読している西久保は、確信しております。

では、仕事に戻りましょう。西久保さん・・・・。


(0411.05 にしくぼ)                                                          ホームへ


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