都市ののカンサツ11   03.11.03

 
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チイサイことはカッコイイ


現在NBAに挑戦中の田伏勇太選手は、身長173?。
この身長は、日本人としては、平均的だけど、バスケットの世界では、ちょっと違います。
高校バスケットでさえ、全国レベルになると、平均身長180?くらいはざらの中で、ガードとして彼は、能代高校の
無敗神話の原動力となりました。抜群の身体能力と、視野の広さを持っています。

そんな彼は、今NBAの門をたたいています。
デンバーナゲッツの最終キャンプに参加したものの、開幕目の前で、メンバーに残る事は出来ませんでしたが、いつか
彼は、NBAの舞台で、巨人達をあざ笑うかのようなプレーを見せてくれるだろうと信じています。

「田伏があと10?身長があったら・・・」なんて、言われる事も多々あるでしょうが、本人はどうなんでしょうね。
スポーツにおいて、体格の差は圧倒的に不利な事ではありますが、彼のプレーに翻弄される選手をみると、
小さい方が有利な点もあるのでは?なんて考えてしまいます。

いやー、本当に小さいことがカッコイイと思える瞬間です。チイサイからこそカッコイイ。

今日、ナビスコカップ決勝戦で、MVPになった浦和レッズの田中達也選手は身長167?。
彼が帝京高校高校1年生の時、春高サッカー決勝戦でスーパーサブとして出場した時の事をよく覚えています。
当時から天才ドリブラー、和製オルテガと呼ばれていましたが、とにかくチイサイ、というのが印象的でした。

プロになって大丈夫かな?と僕の心配も何のその、身体の小ささなんて感じさせないプレーで、大きな選手達を
翻弄します。
今日のドリブルで3人ほどかわしてからゴールを決めたシュートなど、彼のスピードに大きい選手がついていけない、
という感じでとても愉快でした。

いやーこれも小さいことがカッコイイと思える瞬間です。チイサイからこそカッコイイ。

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スポーツに限らず、どんな世界でも、大きな事が有利だ、カッコイイ、と思われがちです。
女の人は、「やっぱ男は175以上ないとねー」とか言ってみたり、
土地も「最低30坪はないとねー。」とか言われていたり、
家も「やっぱ建てられるだけ大きく建てなくっちゃ」と将来を心配してみたり・・・・。

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こと、建築に限っていうと、必ずしも大きい方がいいとは限りません。

建設業の理屈からすると、そりゃ大きく作る方が、建築コストが上がって儲かるわけだから、何もわざわざ小さく作る事を
進める業者は殆どいないでしょう。
お客さんも、「どうせ作るならば、少しでも大きい方が・・・。」と考える方が普通ですよね。

しかし、です。
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敷地には、その敷地にふさわしい建物の建ち方、というのがあります。
敷地にふさわしい建ち方をした建物は、そのたたずまいに、おおらかさを感じます。

分かりにくければ、気持ちよさ、という言葉でも代弁できます。

その敷地にどういう建物をつくると、気持ちのよい生活がおくれるか?という事です。
この気持ちよさと建築の規模は、必ずしも比例しません。

そのためには、敷地の周辺環境を調査する必要があり、僕はその作業に一番時間を費やします。
その作業を通して、その敷地で最高に気持ちのよい住み方、建て方を見つけるのです。

その事で得られる最高の豊かさは、「街に住んでいるカンカク」です。

考えてみて下さい。
20坪なり、30坪なり、敷地の大きさの大小はあれど、敷地の中だけで考えていると、所詮20坪か30坪でしかないですよね。
その中だけでどんなに頑張ってみても、たかがしてれいます。
でも、「街が敷地なのだ。」と考えてみたらどうでしょう?

もし仮に敷地境界線をこえて、「街に住んでいる」というカンカクが得られたら、街や風景とのつながりを生活の中に
獲得できたら、最高に 優雅だと思いませんか?

そして、その優雅さ、気持ちよさを獲得している住宅は、実は最小限に小さく作っている事が多いのです。

「肉を切らせて、骨を断つ」とでも言いましょうか・・・。

チイサイから狭いのではないのですよ。
チイサイからこそ大きくて広いのです。不思議なことに。

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今回は、言葉で非常に伝えにくいテーマを選んでしまいました。失敗かな?

しかし、言えるのは、広さのカンカクというのは、数字上の面積では計る事ができないという事です。
天井高や、外部とのつながり、仕上げや色の工夫で劇的に違います。
すごく狭く感じる10帖もあれば、ものすごい伸びやかさを獲得した10帖もあります。

もちろん出来るだけ広い方が・・・、というお客様の御要望は十分分かります。
そこで、「じゃあ、御要望通り、可能なだけ面積を多く作りました。ほら、○○?です。広いでしょ。」
なんて無責任な仕事は僕はしません。
それは、とても楽ですが・・・。
それが、イコール快適さには繋がらないことを確信しているからです。

僕は、常に「その敷地で、いかに快適な生活を獲得できるか?」という事を街全体の文脈の中で考えるようにしています。
この街にどう住もうか?という事から始めます。
生活にプラスになる街の要素は、全て巻き込んで、取り入れる方が絶対得です。

それは、光、風、風景、文化、道、等物件により異なりますが、使えるモノは最大限取り入れ、生かす工夫をします。

それらは全て「お金で買えない物ばかり」です。
でも、土地を買う、という事の最大のメリットは、それら敷地の文脈の獲得なのではないでしょうか?
土地には、もれなく光、風、風景、文化、道などのおまけが付いてきますね。

大きなお金を出して手に入れた小さな土地。
その面積だけに目がいきがちですが、土地にはたくさんのおまけがついています。
出せるお金も決まっているんだから、だったら工夫次第で「ただで」使えるモノは使っちゃえっ、というカンカク。


お金をたくさん出して手に入れた大きな家より、敷地が持っているおまけ(特徴)を最大限(ただで)生かした小さな家の方が、
圧倒的に、豊かで、優雅で、おおらかです。
言ってしまえば、快適な住まいのポイントは、敷地に付随する特徴、文脈、つまりおまけをどれだけ生かしているかに他なりません。

そのおまけを最大限生かすために、家は少し小さめに、というのはとても理にかなった方法論です。


それは、体格の差を逆手にとり、それを圧倒的な有利さに変えて堂々とプレーする田伏君や田中君のように・・・。

PS、こんな事ばっかり言ってるので、僕には小さな家の依頼が多いのでしょうね。
   敷地が10坪台も多い今日この頃。
   豪華プールつき、ゴルフ練習場付きの家なんて、絶対来ないでしょうね。
   でも、そんな仕事の依頼がもし来たら、広い敷地に、9坪の家を10件くらい建てる案を提案したいです。 是非・・・・。


では、またいつの日か。