06.0.2.21 道。
人生には、幾たびかの分かれ道があり・・・・。
というような、説教がましい話ではないです。
葛飾区にうらら保育園という園がありまして、そこは、今からかれこれ8年前、僕とハラが前職、象設計集団時代に、
かかわった建物です。
そこに、ちょっとしたパーゴラ屋根を作る、という仕事を頂いたので、また最近ちょこちょこお邪魔しております。
本当に、ここは素敵な保育園。
もし、我が家が葛飾区に住んでいたなら、100%子供達を通わせていたでしょう。
で、うかがうと、しばらく子供達と遊ぶのですが、先日、おもしろい風景がありました。
園内に、ところ狭しと、子供達の習字が貼ってあります。
よく見ると、
「道」とか、「人生」とか、保育園児らしからぬ言葉。
このへんが、うららの素敵なところ。
「もう、5.6才になると、お絵かき感覚で、書けちゃうんですよね。意味は、どうでもいいんですけど、
見よう見まねで、それそれ好き勝手に書いています。人生でもいろいろでしょ・・。
」との事。
たしかに、いろんな形の「人生」「道」が、その子なりに書いてあって、「道」という字1つでも、こんなに書き方のバリエーションがあったのか・・?と感心するばかり。
なんというか、この肩の力のすーっと抜けたカンカクが素晴らしいと思います。
別に、キョウイク、とかではない、その以前の感性の世界。
漢字も、子供にとっては、自己表現の記号に過ぎない、という力のぬけた世界。
でも、こんなに貼られちゃうと、それだけで、迫力のある世界。
そして、それを大人が見て、
「うーん、確かに、いろんな人生や道をこの子達は歩むんだろうなー、」
と、
しばし感慨にふけってしまうような世界。
そんな事が、同時に起こってしまうような、
子供だけのためでも、大人だけのためでも、そのどちらかだけではなく、
もっと大きく、ひとくくりにした「人間」の世界がうららにはあります。
こんな世界で生きるうららの子達は、ホントにたくましいです。
僕にとって、今後とも、いろんな形で、関わっていきたい場所の1つです。
おしまい 西久保毅人