05.12.28 坂本さんの家。

 
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坂本さんの家(台東区)
リビングより「はなれ」の和室を見る。
南面を低く抑えているので、奥のダイニングまで、まぶしいほどに日が差し込み、
「はなれ」のおかげで、ほとんどカーテンはいらない。
もうすぐ、はなれの屋根に草が生えます。






坂本さんの家(台東区)
断面の考え方は、こんな感じ。




坂本さんの家(台東区)
坂本さんの家のために、ニコ設計室で
デザイン、制作した雑貨 。
ティッシュ入れ、歯ブラシ立て、その他
洗面化粧道具入れの機能を合わせました。
制作は、ニコの新人遠藤君。

植木さんの家の配線隠しにつづく、
第2段です。

今年は、このような住宅に関わる雑貨も
出来る範囲で制作していきたいです。


植木さんの家のための配線隠し。
ちょっとした事なんだけど、いつも気に
なっていた事。 これも遠藤君制作。

05.12.28 坂本さんの家。


先日、一部、工事を残しながら、坂本さんの家のお引き渡しが完了しました。

坂本さんと初めてお会いしたのは、今から約2年前。
それから家が完成するまでという事を考えると、実はニコ設計室で一番長い期間、家造りのお手伝いをさせて頂いたお仕事が、坂本さんの家です。

内訳は、ほぼ1年が、土地探しのご相談。
そして、残りの1年ちょっとが、正式にご契約をしてからの設計工事期間です。


今でも、僕を設計者に選んで頂いた時のお打ち合わせの事を忘れられません。

長い時間をかけて、なかなか土地が出ない場所での敷地選び。一時は、中古のリフォームという案も出たりして、1年越しで、今の敷地が決まりました。
良さそうな土地が出るたびに、ご一緒に土地を見させて頂いたのですが、その日は突然訪れました。

まだ、僕に頼んで頂けるとは、夢にも思っていなかった昨年末のファミレスにて、

「実は、西久保さんにお願いしようと夫婦で決めているんです。」

といって頂いた時の感動を、昨日の事のように覚えていて、まだそんなに「頼まれ慣れていない」僕は、
顔がにやけそうなのをカッコつけつつ、必死に我慢しながら、「あっ、あっ、ありがとうございます。」と言ったような気がします。
(実は、顔がかなり、にやけていたのかも知れませんが・・・・。)

というのも、設計者の候補の中には、学生時代に憧れた建築家の方も入っていましたので、そんな中で、独立したての僕のような若造に頼んでもらえるかしら?と正直思う部分もあったのです。
そして、そのお打ち合わせで、僕がとっても印象的だったのは、

「私達は、建築家のブランドが欲しいのではない。わたしたちの家、が欲しいんです。」

というような言葉でした。

ここで、「作風」という事が頭をよぎります。
世の中には、たくさんの「けんちくか」と呼ばれる人たちがいて、何々さん風、とか、いかにも何々さんぽいよね、という建物がたくさんあります。
それは、きっとその人達がある程度、意識して作っているもので、その何々さん風、というのが、何々ブランド、となっています。それは、それですごいなーとは思うんですケド、、、、、

申し訳ないのですが、僕はこの「作風」というのに、全く興味がありません。
むしろ、正直に言うと、僕には、その「作風」なんて、邪魔で邪魔でしょうがないくらいなんです。


なぜか?

僕は、お客さんと一緒に、全てゼロから産み出すような家造りがしたくて、独立したのです。
そして、ご家族の要望と、敷地とそのおかれた街の情報だけから産まれる、その場所の、そのご家族のためだけの家を設計させて頂きたくて、独立したのです。
それは、何件設計しても同じ事です。

だから、僕は、最初にお客さんと家造りをスタートする時は、自分を限りなくゼロに近づけ、白紙の状態で出会い、その発せられる言葉や表情のみに、耳と目を傾けるように心がけています。

ぶっちゃけて言いますと、正直、そのくらいの意気込みでやったって、おのずと僕の好みや、個性って、どうしても出てしまうのだ、という事に、いくつかの住宅の完成を見届けて、気付きました。

どうしても、どんなに隠しても、それでもにじみ出してしまうもの。


個性なんていうのは、その程度でいいんではないかと思うのです。

だから僕が一番イヤなのは、自分がやりたい事や過去の物件の断片的な情報が先行しすぎて、お客さんと自分の間の障壁や固定観念となってしまい、お客さんや、敷地の求める声が、薄れてしまう事。
それが、一番つまらないと思う事です。

俺は建築家だ、と偉そうにしてみても、たかだか人間一人の思い描く世界なんて、たかが知れていますし、そんなものちっぽけなもんだ、と僕は考えています。

でも、お客さんと、僕が出会う事で、お互いに気付く事の出来なかった、世界が見れるかも知れない。それが家造りの醍醐味で、一番面白い事だし、そして、そのチャレンジにしか、「人間の住まいや家」の本質はないんではないだろうか?と僕は真剣に思っていて、その思いは、独立して4年目になろうとしている今、ますます強くなっています。
ちなみに、この思いは、ニコ設計室の名前の由来でもあるんです。
(2個、2ヶ、2人、2組、2種類、、、、、とにかく2つ以上が混ざり、ぶつかり、1つのモノを創る。)


話は戻りますが、そんな事を考えていたからこそ、坂本さんの言葉が、非常に、重く、そして、身にしみるように僕の中に残っているのです。

「よーし、坂本さん御夫婦と僕が出会った結晶のような家を造り上げるぞ。まだ、僕も、坂本さん達ですら、想像出来ていないような家を。」

そう決意したのが、丁度、そのお打ち合わせの場でした。

本格的に設計がスタートしてすぐに、ニコのエースストライカー、古賀ちゃんが加わり、一緒にたくさんの案を提案させてもらいましたが、最終案の原型となる案を、坂本さん御夫婦がほぼ一発で気に入って頂いたのも、とても嬉しかったのを覚えています。
その案で大切にしていた事、それ以上の事が、実現できたと僕は思っています。
坂本さんはどうでしょうね?


さてさて、これで11件目の完成になりますが、僕は、自分が設計をさせて頂いた家はどれも大好きです。


そしていつも、
「可能なら 譲ってもらいたい、それが無理なら、せめて1か月くらい住ませて下さい、せっかく作ったんだし、、、、いいでしょ、そのくらい、、、、、」
と思っているので、「どの家もナンバーワンだ。」というのが、正直な感想です。

だから、僕の悪影響?で、
「いやー、坂本さんの家はいいよー。名作だよ。また名作作っちゃったね、古賀ちゃん。」
という具合に、引き渡し後1か月くらいは、事務所内で自画自賛大会。

「先週まで植木さんの家で、同じ事いってなかったっけ?その前も・・・・。」

という冷静な声はさておき、

「西久保さんにお願いします。」

という声を聞いた時の感動と、

「よーし、じゃあ、いくらでもやっちゃいますからねー。」

というおだてられた豚のような単純な僕の決意をそのままに、微力ながら、とっても坂本さんご家族らしい家を作る事が出来たのではないかと、またまた日々家に行くたびに、ニヤニヤしている今日この頃です。


そして、今後とも、おだてられるとすぐ木に登ってしまい、歌の一曲でも歌いましょうか?というくらい、
単純な豚のような確固たるスタンスで、僕らと、お客さんだけの「名作」を丁寧に創っていきたいと考えています。

 

 

おしまい。

                        ニコ設計室 代表   西久保毅人