05.12.09 ふるさとの風景。

 
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植木さんの家(夜景)。









崖を降りる階段。














植木さんの家(となりのうさぎ)。














  

05.12.09 ふるさとの風景

明日は植木さんの家のオープンハウスです。
これは、設計からこれまで考えてきた事。


宮崎駿監督の映画「耳をすませば」の中で、
雫ちゃんが聖司くんの家を初めて訪れた時、建物の隙間の階段を下りていくシーンがあって、その意外なアプローチと隙間に切り取られた風景(自分の街)に、雫ちゃんが一瞬、ハッとする、という場面があります。

その素敵な風景が、まさか自分の住んでいる街だとは・・・・・。

僕は、このシーンがとっても大好きで、僕が建築の設計を通してやりたい事は、実はこの様な事なのかも知れない、といつも考えています。

僕が初めて植木さんとお会いし、この街と出会った時の日の事が、今でも忘れられません。
別に遺跡がある訳でも、東京タワーが見える訳でもないのですが、高台から向こうの山まで望むパノラマの風景に、大きな空に、まず感激しました。
植木さんは、「昔はもっと緑が多かったのに、開発されて、どんどん緑がなくなっているんですよ。敷地の前には洋服の青山もできちゃって。」とおっしゃっていましたが、初めて訪れた僕には、そんな事、どうでもいいくらい素敵な風景に見えました。

いつも新しい敷地に出会う時、僕がまず最初に思うのは、意外かも知れませんが

「このまま空き地の方がいいかも?」

という事です。しかし、建物を設計するのが僕の仕事なので、

「やっぱり、作るのやめましょうか?」

という選択肢は、僕にはありません。だったら、逆に、建物をつくる事で、今ある風景がもっと素敵になるには、どうしたらいいんだろう?という事を考えながら、設計を進めています。
だから、今回も僕は、正直、この空き地の風景をそのまま残したい、と思いました。

でも、もっと具体的に、

「残したい物は何?」

という目で街をカンサツしてみたら、それは、「むこうの空へ抜けた感じ」である事に気がつきました。連続する町並みの中で、ぽっかりむこうへ抜けたこの場所。

崖である事よりもむしろ、突然抜けるこのシーンに僕は「ハッと」したのです。

それは、まさに映画の中の雫ちゃんのような体験でした。

しかし同時に、雫ちゃんと同様、植木さんを含めたこの街の人にとってこの風景は
「日常の1コマ」
として無意識に通り過ぎてしまう存在でもありました。
だったら僕は建物をつくる事で、その「日常の風景」に別の出会い方をさせてあげられないだろうか?と考えました。
まさに聖司くんの家のアプローチで雫ちゃんが「ハッと」立ち止まった時のように。

そしてそれは何より、植木さんご自身が、この場所に家を建てる事で獲得出来る、最高の贅沢なのではないだろうか?と考えました。

さて、 左の写真は、敷地の横の崖を降りる階段なのですが、両側のよう壁に切り取られ、絞り込まれた風景は、なんだかドラマチックです。
映画でもあったように、人は、風景が予期せぬ形で「カット」された状況に突然出会う時、初めていつもの風景を「別のもの」として認識できるのかも知れません。
だから、今回1つの方法として、「切り取る」「絞り込む」という事を手がかりに全ての設計を進めました。

それは、建物のアプローチ、道路に垂直に交わる公共の階段、ウサギがいる横の空地、吹き抜けのリビング、キッチンの窓、ダイニングの窓、など建物が作り出してしまうあらゆるシーンに対してです。

最初に書きましたとおり、別に海が見える訳でも、富士山が見える訳でもありません。
ちょっとのんびりした高台にあり、となりの敷地にウサギがいる事を除けば、どこにでも存在するごく普通の街の風景であり、
ごく普通のご要望と夢を持たれた、とても仲の良い御夫婦のための家です。

今回、その植木さん御夫婦のご要望や夢を叶えると同時に、僕らが少しだけ御提案させて頂いたのは、上記のように、

「家を建てる」という行為自体が、街の人にとっても、植木さん御夫婦にとっても、
  新鮮な風景として自分の「ふるさと」と出会えるきっかけになれば、


という事なのです。

そして映画の中の雫ちゃんのように、
自分のうまれ育った街との「ハッとするような出会い」が、
この街の子供達にいつか訪れる瞬間を、心から夢見て・・・・。

                    
おしまい。

                    2005.12.10 ニコ設計室 代表 西久保毅人