05.11.29 小さな世界と朝の風景
左の写真は、我が家の朝風景です。
僕が2階から降りると、ノノがソラを抱っこして、リンタロウがトトロを読んであげていました。
もちろん、ソラは生後2か月も経っていないので分かるはずもないんですが、何だか聞き入っている
様子。
二人とも、もう随分慣れたモノで、「トトロを歌うと泣きやむよーっ。」と自信満々でトトロを歌ってあげます。
だから、今日はトトロの話みたいでした・・・・。
彼らが大人と違うのは、ただ小さいだけで、体力的に出来ない事も多いですが、ちゃんと日々の経験的に、「赤ちゃんとの接し方」を体で学習しています。
そして、毎日ソラをカンサツしているので、
ちょっと変な様子に気がつくと、すぐに僕らに言ってきます。毎日、いろいろ試しているみたいで、学習能力はたいしたもんです。
それらは、全て実感で覚えたカンカク。
日々、真剣だから分かるキヅキ。
大好きだから、どうしても伝えたいアイジョウ・・・・・。
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さて、世の中、建築業界大騒ぎです。(ここから長文。ごめんなさい。)
誰が悪いのか、犯人探しで、マスコミはおもしろおかしく大騒ぎです。
ハッキリ言ってみんな悪いです。
マンションを、金のなる木としてしか考えられないあの社長、たぶん、自分の会社が作っているものが「人間のすまい」であった事に今回初めて気付いたのではないでしょうか?
以下設計者、施工者には、同じ設計者として以前に人間として憤りを感じますし、同時にこの大変な問題を「視聴率を稼ぐ絶好のネタ」として扱い、関係者の発言に振り回されている一方的な報道にも腹が立ちます。
そして、数年前に行政から分離した民間建築審査機構も、民間化した最大のデメリットをここに来て露呈してしまいました。審査機構については、今回は欠点の追求に終始しており、一方的な悪のように扱われていますが、行政一本で行われていた時代の審査のいい加減さも知っている僕らにとっては、民間委託された事で、審査基準の公平さを強く感じていた部分もあり、一面から論じるだけでは、なんの解決にもならないと思っています。
今回の問題は、これから続く、郵政民営化、保育園の民営化でも必ず、いや必然的に起こる事が容易に想像できる問題だと僕は考えています。
このような問題がおこると必ず、「官が善で、民が悪」という安易な構図をマスコミは作り出します。楽ですから。。。しかし、それをやっていては、なんの解決にもなりません。
たとえば丁度、今週の読売ウイークリーに良い記事がありました。
今回、構造チェックの甘さだけが指摘されていて、一日に何件見ていたからダメだ、みたいな
報道がされています。しかし、実は審査員というのは、殆ど建築の実務はおろか、自分で構造
設計などした事もない人が多いのが現状です。大学を卒業して、役所に就職して、いきなり審
査員になる。
その構図そのものが、そもそも間違いなのではないか?
もし、リアルな建築の現場で、自分で多くの構造設計をし、その現場を監理し、失敗もした苦
い経験もある、という人が、審査員であったなら、「何かがおかしい。」という事を直感で気
付く事ができるはずだ。
そのような体験に基づいた現実を知った上で、身に付いたカンカクをもっている審査員を多く
採用していかなければ、結局今回の事件も、民が悪で、官が善、というような分かりやすい結
論を出すだけで、なんの解決も産まないのではないだろうか?
というような記事でした。
今回、やたらと構造計算書の改ざんと、チェックの甘さが指摘されています。
しかし、例えば、キャリアのある優秀な医者は、表情を見ただけで、「どこか悪いのでは?」と気付くでしょうし、数多くの数字を処理する会計士も、提出された分厚い会計報告書を全部読む前に、「あれっ?ここが変だぞ?」と全体のバランスから判断できるといいます。
僕が構造設計をお願いしている名和研二氏も同じで、構造計算をする前に、まずは僕が作成した模型や図面を見るだけで、「この形だったら、この辺に壁が必要だね。」と力の全体のながれを判断し、そこから詳細な構造計算に入っていきます。
「木を見て、森を見ず。」
という言葉があるように、膨大な書類を一から事務的にチェックするだけでは、逆に全体や問題の核心を見落とす事もあります。
しかし、残念ながら、このような能力は付け焼き刃では、身に付きません。
真剣に、モノや人に向き合った事がある人のみが、手に出来る能力です。
身にしみる失敗の多さが、集中力を持たせます。
だから、今回の事件については、発注者側、それに追従した設計者達については、同業者として本当にはずかしいと感じ、憤りを押さえられないのですが、彼らは犯罪者なので、いくらいい訳をしても、「親分に、殺せといわれて、逆らえなくて殺しました。絶対ばれないと言われたので。」という構図となんら代わりはありません。
しかし、今回唯一、希望があるとしたら、上で書いたような視点から役所も民間も同等に、審査員の資質を見直し、何が核心なのか?を判断出来る人材を多く登用して頂きたい、という事です。
誤字、脱字のチェックも大切ですが、「森をみる。」事が、最高責任機関の使命だと思います。
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さて話は変わりますが、先日、本間さんの家にて、お施主さんである、本間さん御夫婦の兼ねてからのご希望であったパーティーを行いました。
設計者も、構造設計者も、現場監督も、土建屋さんも、電気屋さんも集まった完成パーティです。
マンションと比べれば、たかだか一件の小さな家。
どの仕事もそうですが、うちが抱える仕事によって、各業者さん達が捻出できる利益なんてホンの少しだと思います。
だから、お金で判断してたら、やらない方がよいと判断する業者さんも多いでしょう。
でも、彼らはいつも、そんな事なんて微塵も感じさせることなく、笑顔で一生懸命、「お客さんに喜んで住んでもらいたい。」という一心で仕事をしてくれます。
しかし、残念ながら、多くの職人さんは、自分の持ち分が終わると、建物の完成をみることなく、現場を後にします。だから、もし僕に、彼らの頑張りをねぎらう手段があるとしたら、それは、
「大喜びで住んで頂いている、御家族の笑顔を見せてあげる事。」
以外にないのでは?とかねてから考えていました。
そして、監督さん、職人さんの奥さんや子供達に、
「おまえらのとーちゃんの仕事は、メチャクチャかっこいいぞ。家では知らんけどね。。。。」
という事を一軒一軒、大声で叫んでまわりたい。
と建物が完成するたびに思っていました。
そんな僕の「夢」ともいうべき、機会を本間さんの御厚意により実現する事ができました。
その場では、設計者も、電気屋も、監督も、土建屋も、施主もありませんでした。
それぞれ、その住宅に関わった一関係者として、互いの仕事について、語り、飲み明かしました。
そして、なんて気持ちのいい家なんだろう・・・。という事を皆で、自画自賛しました。
こんな空間をこれからも、全ての物件でやってやろうじゃないか!と決意を語りました。
これは、小さな小さな、「たかが一件の住宅。」でのお話し。
でも、もし、今回、問題になっているマンションで、このような人間関係が築けていれば、互いがブレーキとなり、絶対に今回のような事件は起きなかったはずだと、僕は確信しています。
そして、このような関係の中で、建物が作っていけるのなら、審査機関は、「森」さえ、しっかり見ていれば良いのです。
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さて先日から、ニコ設計室では新人の福田くん、遠藤くんに事務所の棚を作ってもらっています。
左の写真が、事務所の庭での作業風景。
初めての材料の切り出し、加工作業。
墨つぼ、丸ノコ、さしがね、カンナがけ。
大工道具一式を事務所で買いそろえました。
まだ、学生の福田くんにとっては、初めてみる道具ばかりです。
二人でああでもない、こうでもないと話しながら、試行錯誤して、道具の使い方、力の入れ方を学習しています。
そして、完成したら、それを皆で使う予定です。
小さな工事ですが、一生絶対に消えないカンカク。
体で覚えた大きさや強さのあんばい。そして、それを人目にさらされる恥ずかしさ。
でも、自分で作った、という、胸にわき起こる自分だけの充実感。。。。。
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言いたかったのは、どれもこれも、最初に書いたノノとリンタロウの話と結局同じ話なんです。
自分の手で触れて、感じる事。
それを元に判断し、次に生かす事。
住む人、使う人の喜ぶ顔をいつも想像する事。
そして、自分の行為の結果を直接感じる、聞く事。
その限りない繰り返し。
それが、きちんと出来てさえいれば、人生の大舞台で、「森」を見過ごす事はないに違いない、と
僕は、確信しています。
おしまい。
(あー、長かった。すみません。読んでくれた方、感謝します。 にしくぼ。)