05.11.18 佐賀県バンザイ(僕の同級生たち)

 
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植木さんの家完成目前。
監督さんが「夜がいいっすよ。」といつも言うの
で、夜の現場へ。

かなり良かったです。
ウルウルしてしまいました。
結構、難産なプランだったのですが、全てが良い
方向に向かっていて、それがきちんと空間として
実現できていて、難しい工事だったのですが、頑
張っていただいた藤孝建設さんに感謝です。

あとの楽しみは、ぜひ「オープンハウス」で実際
に見て頂きたいと思って、天井から下がる長ーい
ペンダントの写真のみとします。











 



空の見える屋根(模型写真)
前職(7年前)で現場管理をさせて頂いた葛飾の
うらら保育園に、パーゴラ状の屋根をつくる計画。

ホントに素敵な生活の行われている保育園で、
お昼ご飯は、ちゃぶ台とおひつのご飯です。

近かったら、絶対うちの子供達を通わせたかった
場所でもあります。

僕の建築の原点とも言うべき場所で、このような
提案の機会を頂き、ただただ感謝しています。

05.11.18 佐賀県バンザイ(僕の同級生たち)

何を隠そう、僕は佐賀県で産まれ、青春時代を過ごしました。

そうです。僕のふるさとは佐賀県佐賀郡東与賀町という佐賀の南のハテ。
有明海がすぐそばで、名字は田中と山田が異様に多く、親の職業の半分以上が、漁業(ノリの養殖など)か田んぼと畑をやっているような小さな町。
日が暮れると、ホントに真っ暗になり、信号機は、夜9時になると赤色点滅に変わるそんな町。
「はなわ」が歌っているように、マジでヤンキーがモテる、そしてモテるために僕もヤンキーに憧れた、そんな町。
佐賀市育ちの「シティーボーイ」からは、「郡かよっ」とさらに田舎モノ扱いされるそんな町。

・・・・・とまあ、書くとキリがないけど、そんな町です。

18才で大学入学のため上京して早、15年の月日が経ち、持ち前の言語能力で標準語ペラペラな僕ですが、佐賀で過ごした18年間は、僕の原点であり、同時に全てでもあります。

なんで、佐賀について書こうと思ったかというと、先日、15年ぶりに神戸に住んでいる佐賀西高時代の友人から突然のメールが来たのです。

「雑誌、見たばい。同姓同名かと思ったばってん、あの西久保ね???」

いやー、実は、僕が一番嬉しい瞬間です。
まだ少ないですが、僕の仕事を雑誌に掲載させて頂いたり、テレビで紹介して頂いたりして、一番嬉しいのは、紙や電波に乗る事で、遠く離れた佐賀や全国に散らばっている佐賀時代の御世話になった方々にも、自分が設計させて頂いた仕事を見てもらえる、という事です。

建物は、持って歩けませんから・・・・。

なかなか、帰省したり、会いに行ったりできないですが、おかげでこのような15年ぶりのメールを頂いたりする事ができ、本当に嬉しい限りです。
もちろん、雑誌に載せていただく事で、新しい仕事へのきっかけになればいいなぁ、という営業的な思いもあるのですが、こんな思いも同時にいつもあります。

特に、両親には、
「大学院まで行ったのに、さっぱり何してるか、わからん、あのバカは・・・」
とかなり長い事、心配をかけ続けていたので、 そのような機会はとてもありがたいです。

さて、佐賀つながりという事で、今回は僕の佐賀の同級生を二人紹介します。
この二人は、佐賀西高の同級生で、その活躍と頑張りを影ながら応援し、いつも励みにしている二人です。

一人目は、千綿ヒデノリ。

http://www.chiwata.net/
かれは、今インディーズという音楽の世界で、一緒の時期に上京して依頼、15年間、東京を拠点に全国のライブハウスで歌い続けていて、これを読んでいる方はほとんど知らないかも知れませんが、渋谷のオンエアを満員にしてしまう程、注目されています。

彼が歌を歌うために上京して、いろんな活動を経て、彼と再会したのは、6年前くらいです。
ある日、吉祥寺を歩いていると、
「千綿ヒデノリ インストアライブ」の文字。
しばらく、音沙汰がなかったので、懐かしくて足を止めたのが再会の時。
ギター一本で、汗びっしょりで熱唱する彼の姿に、たくさんの人が足を止めていました。
歌い続けていたという事がまず嬉しくて、花の都、大東京で、たくさんの人を前に堂々と歌う姿が
とても輝いていました。
ちょうど、僕も独立を考え始めた頃だったのですが、やっぱり怖いしどうしよう・・・?と思っていた時期です。

千綿の姿が、僕の独立を後押ししたといっても、過言ではないと思います。

好きな事を続けるのって、本当に難しい事です。
でもたぶん、彼は、一生、歌い続けるのだと思います。
素人の僕が言うのもなんですが、彼はものすごい音楽の才能にあふれた人です。

しかし、彼の最大の才能は、「歌うのが、好きで好きでたまらない。」という気持ちと、それを
「続ける事」だと思っています。

彼は、自分の事を「歌手」ではなく、「歌うたい」といいます。
僕は、ちょっと参っている時には、年に数回、彼のライブに行って気持ちを盛り上げる事にしています。

仕事は、全然違うけれど、東京で頑張る佐賀の友人として、一押しで応援しているのです。


さて、二人目は、真島理一郎くん。
http://moura.jp/clickjapan/interviews/040317/
名前を聞いてもピンとしないかも知れませんが、「スキージャンプペア」といえば、ご存じの方も多いでしょう。

そう、かれは、あの有名な「スキージャンプペア」の作者なのです。

彼は、九州で仕事をしていたので、高校卒業後、からみがなかったのですが、昨年のある晩、スキージャンプペアがテレビで紹介され、
「面白いこと考えるヤツがいるなー、どんなデザイナーだ???」
とみていると、
なんと、画面に真島くんのアップとインタビューが。

聞くと、九州の会社を辞めて、デジタルハリウッドに入学し、その卒業制作として作成したのが、
そのまま、「スキージャンプペア」となって発売されたそうです。

高3の時、共に学年で唯一の男子クラス(通称、男クラ)だったので、

「あの、真島くんがこんなのつくったのかー、すげーっ。」

と、家で大騒ぎしていました。

この大ブレイクで、彼が現在、佐賀西高の同級生で、一番の有名人になったのは言うまでもありません。

この作品のいいところは、CGがわざと下手に作ってあるところだと思います。
建築も同じですが、CGって、リアルさだけを追求してもあんまり意味がないんですよね。
結局、最高のリアルさって、実物でしか出せない訳で、「すごくホンモノっぽい。」だけでは、
あんまり意味はないんです。
だけど、やっぱり、CGをやるほとんどの人が、「いかにホンモノっぽいか?」という技術の鍛錬に終始して、「リアルだけど、それで何なの?」と僕は思うのです。

それよりも、彼が大切にしたのは、「世界観のリアルさ」であり、そこが彼のすごいところ。

作品と同時に、「スキージャンプペア」オフィシャルサイトを立ち上げ、その中で競技としてのルールや歴史を作り、その競技があたかも実在するかのように世界を作りあげていきます。
彼自身、「スキージャンプペア実行委員会会長」を名乗り、 この作品を世界各国の映画祭に出展し、競技の布教活動を世界中で展開しています。

つまり、CGだけでなく、かれの活動そのものが、1つの作品となっているのです。

ホントに、この実行力と着眼点には、脱帽しました。

今では、超売れっ子で多忙なようで、どうやら映画化もされるらしいです。


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いやー、佐賀の事となると、興奮してずいぶん長くなってしまいました。
もっと佐賀ネタは、たくさんあるのですが、あとはまた次回、という事で、
今回は、佐賀の自慢大会でした。