05.10.26 リスクに支えられた世界
昨日、富士サファリパークで熊に襲われた飼育員さんがなくなりました。
時事ネタは、ブログっぽくて出来るだけ書かないようにしているのですが、このニュースは触れない訳にはいきません。
以前もここにも書きましたが、うちのリンタロウは動物が大好きで、よく出かけるといったら、動物園に足を運びます。
中でも、なかなかいけないですが、富士サファリパークや、群馬サファリパーク、長崎バイオパークなど、檻に入っていない自然に近い環境で飼育されている動物と出会うのは、子供だけでなく、
大人も興奮できる場所です。
そして、そんな環境で生活している動物たちは、毛並みや表情、仕草もどこか雄大です。
個体として、檻に入った動物は、人間と違う「動物」として見えますが、広い敷地で好きなように、グループを作っていたり、家族で過ごしている姿を見ると、なんか、人間の家族も、動物の家族も同じ様に見えてきます。
このような環境を作り上げ、維持していく労力は想像以上に大変でしょうし、自家用車で、個人の責任で、動物たちの世界に入っていけるシステムは、見る側も維持する側もリスクを背負います。
運営する(働く)側も、参加する側も、共にリスクを共有して初めて成立する世界。
もちろん、起こってはならない事故ではありますが、きっと、なくなられた飼育員の方も、動物が大好きで、一番自然に近い姿の動物達と共に生きる人生を選ばれたのでしょう。それは、いつも死と隣り合わせのリスクを考慮しても、動物達のそばにいれる事が、彼にとって最高にハッピーな人生だったのではないか、と想像しました。
内容は異なりますが、
数年前に、「こどもの時間」というドキュメンタリー映画を見に行きました。
埼玉県桶川市にある、いなほ保育園の1年の生活を撮影した映像なのですが、そこに映し出される
子供達の生活に、子供達の表情に、大変衝撃を受けました。
畑に囲まれた木造の園舎で暮らす子供達は、自分たちで野菜を育て、お昼には庭で火をおこして、サンマを焼いて、一匹丸ごと手づかみで食べていました。
ゆでたニンジンは、とても子供サイズとは思えないくらい大きく、オモチャらしいものが見あたらない代わりに、子供達は、放し飼いの馬や山羊、鶏たちを世話しながら、0歳から6歳までの時期を過ごします。
中には、ここでの保育を求めて、遠方から家族で桶川に引っ越される方もいらっしゃいました。
いわゆる保育らしい保育もなく、教育らしい教育もありません。ただ、動物や、畑や、火や、水や
雨や、季節とともに生活する子供達の「くらしの場所」がそこにありました。
もちろん子供に火を扱わせる事は、「キケン」だし、手づかみで食べるのは、
「ギョウギガワルク」て、「フケツ」かも知れません。
ただ、サンマはサンマのまま、ニンジンはニンジンのまま、火は火のまま、そのまんま本物とふれあっている子供達の表情は、とても生き生きとしていました。
この場所も、運営者も、参加している家族も、共にいろんなリスクを前提として初めて成立している世界です。きっと2005年の今も、同じような暮らしが当たり前のように継続していることでしょう。
最近、家造りも何となく同じ気がしています。
お互いに本音を出しあって、たとえその2者間だけの小さな世界でしか、共有できない価値観であっても、互いを信頼しあえれば、ものすごいエネルギーになります。
そして、実は、多数決ではない価値観で築かれた世界や空間にこそ、「初原的」ともいうべき、本当にリラックスできる生活空間や、人間の欲求の本質があるのではないかと、日々の設計活動を通して思うのであります。
家族ルール、バンザーイ。
そして、なくなられた飼育員さんのご冥福をお祈り致します。
なくなられた飼育員さんにとっても、このような場所がずっとずっと続いていきますように。