先週の土曜日に、保育園の運動会がありました。
毎年子供達の成長ぶりや不成長ぶり、よそ行きの顔(保育園という集団の中での顔)を見れて、とても楽しみにしています。
いつもは、自分の子供のかけっこや踊りが一番印象的なのですが、今年は違いました。
今年、僕が一番感動したのは、最後に行われたリレーです。
年長の5歳児、4歳児クラスが二組に分かれて競争するのですが、
保育園児のくせに、勝負に対する本気ぶりにまず感動。
そして、負けた瞬間、白組の一部の子供達が、泣き崩れる姿に、もらい泣きしてしまいました。
中には、走ってる途中で、負けているという悔しさに泣きながら走る子供もいました。
「あー、勝負ってなんていいんだろう。」とつくづく感じる瞬間でしたし、まさか自分の子供が、
勝負して、
負ける、という事に、
心をふるわせる。
くらい感情を表せるほどに成長している事にビックリしました。
自分を思い返すと、もっと後だった気がします。
練習を重ねたパフォーマンスももちろん感激しますが、
一番シンプルな、なりふり構わずひたすら走るという競技に、一番個性を感じましたし、その姿に自分の子供でなくても
感激してしまいました。
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近年、子供に競争をさせない、優劣をつけないような教育をよく聞きますし、運動会などでも、競争せずにみんな一緒にゴールを
させるところもあると聞きます。
でも、僕は、それは間違いだと思っています。
やっぱり、必死になるから、感動があるわけで、それはうれし涙の時も、くやし涙の時もあるでしょう。
でも、僕は、どちらの涙にしても、必死に頑張った後の涙は、その子の一生の財産になり、糧になると思っています。
逆に、泣くほど嬉しかったり、悔しかったり、という感情の表現は、損得や、計算ずくの大人の世界ではなかなかできない、
青春の特権だと思います。
なんて、少々、くさい事も書きましたが、本当にいい感動を子供達にさせてもらいました。
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ちなみに、僕もよく泣く子供でしたし、大学生になってもよく泣いていました。
夢のような空間にであっては泣き、設計ができなくては、自分のできの悪さに泣き、先輩にからんでは泣き、フラれてはなき・・・・・。
知ってる人は、よくご存じだと思いますが。
そして、その涙の全てが、今の自分の骨になってると思うのです。
・・・・・・運動会の話でした。
(04.10.05 にしくぼ) ホームへ |