都市ののカンサツ09   03.10.17

 
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子供のカンサツ (メッセージや楽しいエピソード、空間や街、募集中です。)

 

経歴を見てもらうと分かりますが、僕は、大学時代から「子供」という不思議な生き物に非常に興味を持っていました。
別に、こどものために・・、とか今の教育は・・・とか固い意味ではなく、
単純に「何か気になる」
という事で、音楽が好きとか、スキーにはまってる、とかホントに趣味の領域です。

そんな事を本格的に考え始めて、10年になり、子供が出来てますますエスカレートする今日この頃。
ですので、やれどこどこの街で児童センター作るらしいよ、とか、おもしろい保育園があるよ、とか
声をかけてくれる人もたまに現れます。

そんなことばかり考えているので、都市のカンサツも気づくと子供の事ばかり書いています。
中には、そんな事に興味をもってくれる方もいて、ご意見を頂いたり、楽しいエピソードを送ってくれる方もいます。

これは、僕だけで考えていたら、もったいないなーと正直思います。

そこで、分野問わず、子供という生き物に興味のある方や、僕の考え方に賛同して頂いている方からのメッセージや
エピソード、ご意見、募集します。
楽しい空間や、街も教えて下さい。
まだ、方向性は決まっていませんが、皆さんの楽しい出来事や皆さんの知ってる楽しい場所も紹介出来ると良いと考えています。
決まってるのは、「子供のカンサツ」というテーマぐらい。個人的なことでいいです。
これらが全て、 僕の住宅や街を考えていく時の財産になりますし、興味がある人がいれば、一緒に勉強していきたいと
考えています。


こちらまでメール下さい。 お気軽に。無断掲載はしませんので、御安心下さい。

 

以下、子供という生き物にはまっていった僕のエピソードです。
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佐賀県時代

はなわくんで有名な何もない県、佐賀県の出身です。
大学で東京にきて、「学校の先生になりたい」という人にめったに出会わないのがとても不思議です。
というのは、僕の佐賀の同級生で、学校の先生になった人、なりたかった人がとても多いからです。
保母さん、小学校、中学校、高校の先生など。

各段階で、非常に印象に残る先生達に出会えてきたことが理由でしょうか?
僕もかなり先生との楽しい思い出をもっています。勉強以外ですが。

変わった先生がとても多かったです。
あの先生に怒られると、木の上に5時まで登っていなくてはならない、など変な決まりもありまして、今考えると
馬鹿らしいですが、当時は本気で恐れていました。
走れメロスを皆に朗読して聞かせながら、自分が大泣きしてしまった男の先生も忘れられませんね。

このような環境が、根っこかなーとは思います。

大学時代

学生時代は、小学生の塾の先生をしていました。
小学生の発育って、かなりの個人差があります。大人みたいな言葉巧みな子から、まだ人とのコミュニケーションすら
うまくできない子まで様々です。
そんな発育の個人差のある子供達が、受験というひとくくりの枠で競争するわけですから、差が出て当たり前です。

どんな大人のような言葉を使おうと、所詮は子供です。
試験前は、プレッシャーで神経性の下痢や熱をだして、力を出し切れない子供も少なくないです。

なにもそこまでして、それで人生決まるわけでもないのに、、、というやり場のない疑問を感じていました。

同時期、僕は、インドへ旅をしました。
インドでは、日本では受験戦争をしている小学生位の子達が、日々生きるために働いていました。
「くつ、みがくよ」 。「ふね、のせるよ」。「あんないするよ」。
路上で、様々な手を使って、日銭を稼ぐ子供達。
追い払っても、次々と通りすがる人に猛烈アタックです。
日本の子供なら、泣いてしまうような場面でも、力強く生きる子供達。

全然、かわいそうとは思いませんでしたね。むしろ、その子供達の笑顔の中にどんどん引き込まれる自分がいました。
顔が、ギラギラと輝いているのです。まさに「生きてる」というように。

帰国後のショックは相当なものでした。
「何で日本人てこんなにつまらなそうな顔してるの。」

そこで感じたことを僕は、卒業設計としてまとめました。

タイトルは、「よりみち」
受験戦争にもがく子供達。インドで生きるために生きている子供達。その他いろんな国の子供達。

どっちがいいとは言えない。
でも、どっちもいる。

受験戦争の波の中で、子供達はおぼれそうに必死で泳いでいる。子供にとってはものすごく大きな波だ。
それが、生きる全てのように錯覚してしまう子もいる。失敗したら落伍者のように・・・・。
別に世の中を変えようとは思わない。
ただ、どっちもいる、いていいんだ、という事は伝えてあげたい。
受験勉強をしている時に、靴磨きをしている子供達も同時に地球の上にいる事。
受験戦争の波なんて、地球レベルで見たら、小さな波でしかないんだよ、という事をそこでおぼれそうな子供達に
伝えてあげたいと思いました。

そんな、内容です。




大学院時代
引きつづき、子供にはまる。
対象は、幼稚園児や保育園児へ。
皆には、またか、バカか、と思われながら、面白そうな学校、幼稚園、保育園を調べては、そこに入りびたり、
子供のカンサツ。いろんな園長先生と仲良くなる。
顔が違うんですよね。場所によって。

我が幼稚園としましては、なんたら教育に力を入れていまして・・・・というところから、
園長「おい、食って見ろっ」
子供 「げーっ、にがいー。」
園長「じゃあ、その葉っぱは食えないな。」
みたいなワイルドなところまで。

そんな事をまとめて、論文にし、修士設計としました。
タイトルは「子供のための空間」

その頃から、自分の言葉の限界も同時に感じ始めていました。
何せ、相手は、保育者だったり、園長だったり、父母だったり、ですので、子供もいない若者の発言は机上の空論でしか
ありません。

なんとかせねば、と思っていました。そのためには、結婚して自分の子供を自分でカンサツするしかないのですが・・・。

勤め人時代
前職では、まず最初に、めでたく保育園と老人ホームに関わることが出来ました。
そこで学んだことは、計りしれません。
そして、その後も、個人活動として、子供のカンサツは続け、いろんな保育者や先生達と出会い、今に至ります。

いつの間にか、2児の父となり、最近はもっぱら自分の子供のカンサツです。
家事を頑張るすてきなパパ、ではありませんよ。
仕事にかまけて、そちらもカンサツ止まりですけど。家事のカンサツ。

 

では、またいつの日か。