伝える、ということ
前回の「子供のカンカク」での出来事って、ある意味
「4才の子供に図面に描かれた内容がある程度伝わった」と考えることができます。
今回は、伝える、ということ、について書きます。
建築家、齋藤裕氏は著作の中で、「無名の若い頃出したコンペにおいて、とにかく自分の図面を見てもらおうと
テーブルの上にフォークやナイフまで描いた 」と描かれていました。
また、初期のU研のドローイングには、人や本棚に並べられた本、さらには草木の一本一本まで丁寧に描かれています。
まだみんな鉛筆で図面を書いていた時代です。
最近は、なかなかこのような図面に出合う機会は少ないですし、それらを批評する言葉ももっていませんが、
ただ言えるのは、「なんか、すごく伝わる」という事です。
これは、手法はどうあれ、僕はとても大切な事だと考えています。
そして、僕は建築家の仕事というのは、「伝える」の一言につきるのではないかと最近考えています。
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だた、「伝える」という事と「こびる」という事は全然違います。
僕が親しくさせていただいている幼稚園や保育園の園長先生達は、
「子供にこびた表現や空間は、子供に響かないし、すぐ飽きてしまう。」
というような思想の方が多いですし、僕がこれまで出会った素敵な子供の世界は、不思議なほど、しつらえとしては
無装飾でした。子供にこびやようなデザイン等は一切ありません。
そして向き合う大人もそこでは、無装飾で、なまの大人として子供達と向き合っています。
時にはうそもつくし、腹も立つ。
自分の親に「くそばばあっ」といえて一人前だとおっしゃる園長先生。
(親との関係すらうまく築けずに、心の叫びを誰にも言えず、自分の中に全て抱え込んでしまう子供が多すぎるから。)
たばこを吸う人もいれば、嫌う人もいる。
どちらが正しい、ではなく、どちらもいるのだ、 という事。
この「伝える」はとてもエネルギーのいることですが、きちんと子供達は感じているようでした。
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モノは、モノである以上、そのすがたかたちを表現してしまいます。
そこに、ただある、というだけで、誰かに何かを「伝える」力をもちます。
だったら、ただある、というだけで十分なのではないかと最近考えます。
ただ、「どう、あるか?」という事が一番難しいのですが・・・・・。
難しいアルヨ。
では、またいつの日か。
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